私たちが目指すもの

道端やカフェで人が出合った時に、何気なく挨拶ができたり、おしゃべりができる。

そして、誰もがありのままの自分を大切にして、お互いに尊重している。

社会問題は自己責任と片付けず、仕組みの問題だよねって、

一人ひとりが主体的に参加して課題解決に向けて社会を動かしている。

そんなフレンドリーで、アクティブな社会を目指しています。

 

 

<少し難しく書くと…>

すべての人々が宗教や人種、所得に関係なく、共存する社会であり、その社会の行く末は、そこに生きる人々が排除されず、一人ひとりの声が聴かれたうえで、選択されている。

そして、人々がおりなす営みの中で発生する社会的な課題に対して、それを個々人の努力の結果としての「自己責任」とせず、私たちがつくっている社会システムの欠陥を解決のための共同体としての社会づくり(社会/町/コミュニティづくり)を目指します。


そもそも、社会が変わるっていうことは・・・

  • 活動を広げるために、より多く多様な人々賛同(価値観)参加(行動)が必要
  • 問題を認識し、共感できる環境が必要
  • 行動する前提としては、自分たちが行動することで社会が変わる(Change is possible!)という成功体験・認識が必要

Theory of Social Change-私たちの社会の変え方-

【社会変革のアプローチ】

  • 一人ひとりが社会を動かすパワーを持っているという認識を育むこと(アクティブ・シティズンシップの促進)
  • 社会的な不条理は個人の努力の結果ではなく、社会的に解決すべき私たちの共通の課題だという認識を広めること(社会正義認識の拡大)
  • 世代や人種、宗教、出身地域など多様な人々が対話し、「あるべき社会像」に対し話し合い、共通する社会像に向けて協働できる場の創出(アライアンス・ビルディング)

*上記の社会変革を進める上で、こうした動き自身も多様なバックグラウンドを持つ人々が参加し、対立点も対話によって(賛同に至らないまでも)理解をしながら歩みを進める必要があると私たちは考えています。

 

 

【私たちの社会に対する分析】

 

分断された社会

社会をよくしていくためには、「公助、自助、共助」という3つのアプローチがあります。公助は生活保護や社会保障など公的な機関が行うものであり、自助は個々人が努力し、貯蓄などを行い対応していくというものです。この2つの考えと共に世界各地で伝統的に行われてきたのが「助け合い」であり、共助と呼びます。

しかしながら、高度経済成長期における急激な都市化やそれに伴う多様な世代やグループの人々との対話機会の創出、身の上話を行える場所の減少などにより、「助け合い」が行える環境やそれを支える「共感する場」が減少し、社会の問題を「自己責任」として見てしまう環境ができ、また、共に助けることに対してのハードルが高まってしまいました。

 

社会を変えるパワーを認識できない

社会問題に関するイベントで、「あなたは社会を変えられるか?」と聞いたとき、アメリカでは多くの人々がすぐに「変えられる」と答えた。日本では、そのように回答できる人は多くはありません。

 

社会的な問題が「自己責任」と考えられることに加えて、社会的課題を人々が変えてきたという成功体験が世代を超えて共有されていないことも大きな問題です。戦後の消費者運動や教科書無償運動など、日本国内においても人々が行動し、社会のシステムを変えてきた事例はあります。しかし、それが世代を超えた共通する体験となることはなく、また、高度経済成長期前からの集団就職、終身雇用、年功序列、国民皆保険などの制度や歴史的蓄積によって、「安定」を根ざし、その「安定」した生活をするために、若者は教育を受け、教育を修了した後は、労働によって「社会」にでるとう分断が発生しました。

その結果、「社会人」という概念が日本では広がり、社会に対して何か行動を起こす際には、経済的自立をもって考える傾向が高まってしまいました。

成功体験を認識することが難しく、そのお手本となる存在も身近にないため、多くの人々が自分自身が社会を変えられるパワーをあると認識できなくなっています。

 

社会的不条理が自己責任だと片付けられてしまう

上記に挙げられた「安定」を目指す社会の潮流は、日本社会の経済的・制度的豊かさをかつては表すものでした。ただ、その一方で、社会のスタンダードから外れたり、怪我や病気、経済的問題で「社会一般」からずれてしまった際に、そのような状況が自己責任で語られる傾向が生まれてしまいました。例えば、諸外国では野外生活者(ホームレス)の方々が物乞いをすることは多くありますが、日本では物乞いをするホームレスの方は少数派です。また、社会的な課題で窮地に立ったときに、「自殺」という対応策をとってしまう人々が日本に多いのも、社会的不条理を自己責任だと思っていることが原因の一つではないかと私たちは考えています。

人は生まれる場所を選べません。生まれや人生の中で起こるトラブルに対して、それを自己責任ではなく、社会的な課題として取り組むことが必要であり、諸外国では社会的な不条理に対する行動を「Social Justice(社会正義)」と呼んでいます。

 

社会を良くしていくために

社会は人々の集合体であり、社会を変えるために必要なことは、そこに生きる人々の認識、価値観、行動を変えていくことです。私たちは、日本社会にあるよい点を尊重し、その上で、現代の社会的環境にあったより人々が生きやすい社会へと変わっていくために、一人ひとりが認識、価値観、行動を変えていくことが重要だと考えています。